【Minimalカルチャー対談】九谷焼六代目・上出惠悟さん(前編)「もう終わった業界だと父親から反対されました」

2023.03.21 #Minimal's Story & Report

新たなカルチャーを生み出す方々にお話をお伺いする、Minimal代表・山下の対談企画。

第3回は、石川県の九谷焼「上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)」六代目・上出惠悟(かみで・けいご)さん。
東京藝大を卒業後、新しい九谷焼を目指して奮闘されている上出さんの軌跡に迫ります。

藝大での挫折と、卒業制作での気づき

山下
上出さんは、もう生まれた時から実家を継いでいくぞ!みたいな感じだったんですか?

上出さん
うーん。小さい時から七夕で「おちゃわん屋さんになれますように」と短冊には書いてましたし、大人になったら茶碗屋さんになるって漠然とは思ってましたけど……

それよりも絵を描くのが好きで、他にできることがあまりなかったので長所を生かすべくという感じで進路を選んだ方が大きいですね。

山下
それで藝大の油絵に入れるんですね!(笑)

上出さん
1浪しましたよ。でも大学合格のときに家族は喜んでくれましたね。母方も父方も両方とも九谷焼を生業にしているのですが、母方の祖父は泣いて喜んでくれました。

ただ、いざ大学に入ったら周りが凄すぎて作家にはなれないなあと思ってしまいまして……。

山下
そうだったんですね。

上出さん
僕の大学生活はけっこう暗かったですね(苦笑)。「湧き上がる制作欲」みたいなものがないなって……。

入学してからNY同時多発テロ事件が起き(2001年)、今まで信じていた世界が崩れていく感じを受けて、解らなくなっちゃったんです。

自分の中に「答え」みたいなものをきちんと持っていないと表現ってできないなって思っちゃったんですよ。

だから作品はほとんど作らないで、人の話を聞いて勉強したり、トークイベントの運営に参加したりしていました。

山下
ちょっと答え合わせじゃないですけど、その時に才能あふれる人がたくさんいた中で、20年経って活躍できている人はどのくらいいるんですか?

上出さん
うーん。僕みたいにクリエイティブな分野で奮闘している人はまあまあいると思いますが、純粋に芸術という分野に絞れば2〜3人いればいい方でしょうか。

山下
そうなんですね。
でも上出さんって藝大の卒展で卒業制作の『甘蕉(バナナ)房 色絵芭蕉文』(後述)が注目されたんでしたよね?

上出さん
そうですね。道が開かれた感じがしました。

もう自分は作家にはなれないだろうと思っていたんですけど、一応「落とし前」をつけるために卒業制作だけは最後にちゃんと頑張ろうと思って、自分というものと改めて向き合う為に、ルーツを知ろうと思って実家に帰ったんですよ。

1年間休学して実家と東京を行き来しながら、九谷焼や工芸のことを勉強して、自分がやっている美術や絵画とどうやって結びつけたらいいかなって考えるようになったんです。

山下
その時には、自分の中にやりたいことや思いが出てきたということですか?

上出さん
そうですね。

山下
でも、そこまでの数年間は苦しかったんじゃないですか?辞めようとは思わなかったですか?

上出さん
同級生たちががんがん作品を制作している中で自分は何も出来ずにいたので、苦しかったですけど、辞めようとは思わなかったですね。

僕の担当教官が教育熱心な方で、鍛えてくださったんですね。

今は違うかもしれないけど、僕が在籍してた藝大の油画ってわりと適当にしてても進級できちゃう感じだったんですよ……。

山下
そうなんですか、制作は要らないんですか。

上出さん
とりあえず何か制作すればよくて、たとえば「チョコレートつくりました」って言って提出すれば、作品のコンセプトは理解されなくてもOKというか、良くも悪くもスルーされちゃう感じだったんです。

だからいつも前日に適当に描いた絵を提出してたんですが、当時の担当教官からはちゃんと制作するようにと厳しく言われてしまって。

山下
今ちょっとチョコレート造りをいじりましたね?(笑)

上出さん
そうじゃないです(笑)。「チョコレートも表現になり得る」という意味です。

山下
いやいや、すみません(笑)。

 

「素材」ありきの作品造り

上出さん
工芸に触れてみて気づかされたのは、「素材」ありきなんだな、ということでした。

それまで僕としては「表現したいこと」が先にあって、そこから素材や方法を選択すると思っていたんですけど、もう発想が逆なんです。

それで卒業制作に実家で使っていた磁器という素材で『甘蕉(バナナ)房 色絵芭蕉文』を造ったんですけど、窯から出てきた時に自分でこれが何なのか解らなかったんです。

人によってはペーパーウェイトに見えるかもしれないし、インテリアショップに置けば置物に見えるかもしれない。

美術館のようなホワイトキューブに置いたときには工芸を越えたものに見えるかもしれない。

自分で判断できないところがすごく面白いなと思って。

山下
順番が逆転し、造った自分のアウトプットが結果としてとても多面的で、「面白い」と思ったんですね。

上出さん
そうそう。それまでは「なんで陶芸家ってみんな壺を造るんだろう?」くらいに思っていたんだけど、工芸の面白さに気づけたというか。

山下
すごく現代アート的ですよね。多面性があって。

上出さん
そう。でもそのまま作家として生きていこうとは思わなかったんですよね。

実家の窯元の経営がけっこう大変そうだったので、何とかしたいと思ってて。

僕が生まれた時からいる職人もたくさんいたので、ここで終わらせるわけにはいかないなと。

山下
なるほど。

“新しい”九谷焼への試行錯誤

上出さん
でも父親からは反対されました(苦笑)。「もう食っていけない終わった業界だ」って言われて……。

一方で、父親は僕が作家になることには賛成だったので、「作品を窯で造るから」という理由をつけて最初は帰りましたね。

山下
でも上出さんは内心「立て直してやるぞ!」と思ってたんですよね。

上出さん
そうですね。最初は会社の宣伝ツールのホームページやリーフレットを作ったりして。会った人にすぐに渡せるように。

山下
お父さんが「食っていけないから」と言われたのは、どういう理由からだったんですか?

上出さん
まず大きな借金があって。祖父が事業で作った借金なんですけど、その返済だけでもう大変で……。

山下
それは上出さんの窯元だけそうだったんですか?それとも九谷焼全体が構造的にそんな感じだったんですか?

上出さん
うーん、うちだけかも(笑)。でもどこも景気が悪くて、暗いムードがありました。

際立って成功してる窯元もそんなになくて。九谷焼は当時の時流に乗れてなかったですね。

雑誌「クウネル」などが発刊されて北欧デザインや民藝ブームなど「暮らし」に目を向ける流れが来ていたんですけど、九谷焼って高級食器だったのでちょっと違っていたんですね。

もともと殿様の命令で造った焼き物でしたから。

九谷焼全体が何をしたらいいか分からないという手詰まり感がすごくありました。

山下
上出さんの会社は職人さんもたくさん雇っていたから、それはきついですよね。

「こうすればいける」みたいなアイデアはあったんですか?

上出さん
いえ、自分は浅はかだったので「売れていないのは、知られてないからだ」と思ったんですよ。

今まで九谷焼ってデパートなど和食器好きの方が集まる場所でしか見られていなくて、わりと限られた人にしか見てもらってないと思っていたんですね。

それでPUMAなどさまざまな方とコラボレーションしたり、東京でイベントしたりして、当時はテンションが上がっていたのですが……。

バイオメガ社がプーマとMARUWAKAがコラボレーションした自転車を発売する記念につくられた、サドル・ハンドル・キープレート・エンブレム・リフレクタが九谷焼でできた自転車

山下
焼き物の表現や作風を変えていくのと、認知を取りにいくのは、同時にやられたわけですか?

上出さん
いやもう、圧倒的に認知。

「見せ方」を変えようと思っていました。

山下
それはうまくいったんですか?

上出さん
うまくいかなかった(苦笑)。それでは物は売れなかったです。

山下
話題になるんですけどね。

上出さん
そう、話題にはなるけど……。

山下
ちなみに、工芸の世界って個人に直接売れるんですか?それともバイヤーがいるんですか?

上出さん
当時は地元の問屋さんが産地の中心でした。「地卸」っていうんですけど。

でも僕がやろうとしてたのは、直接お客さんに売ることでした。

自分たちのものがどこで売られ、どういう人が買ってくれていたのか見えなかったんです。それを変えたかった。

山下
それは業界のタブーなんじゃないですか? 仲卸を抜くみたいな感じになりますよね。

上出さん
えっと、九谷の窯元って一言で言っても白い素地だけを造る素地屋さんとも呼ばれる下請け的な窯元と、僕たちみたいな完成品を造ってる窯元があって。

素地屋さんがそれをやっちゃうと怒られたかもしれませんが、うちは問屋機能も一応持っていたのでそれは大丈夫でした。

山下
なるほど。

上出さん
僕が進めたコラボレーションや企画などで明るい話題は生むけどプロパー商品は売れないから、現実は火の車で自分たちの給料が出ないとか多かったんですね。

「月々の支払いをどうする?」とか「給料どうする?」とか。でも結婚したばかりだったし、そんなんじゃやっぱり困るっていうことになり……。

 

窯元を立て直すべく実家に帰った上出さんの奮闘ぶりは、後編に続きます!

※後編はこちら

 

上出惠悟さん
1981年石川県生まれ。上出長右衛門窯6六代目当主。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。明治12年(1879年)創業の窯元の企画・作品発表・デザインに携わる。2013年合同会社上出瓷藝(かみでしげい)設立を機に本格的に窯の経営に従事。主な仕事として、伝統柄をアレンジした「笛吹」、スペイン人デザイナーを招聘した「JAIME HAYON×KUTANI CHOEMON」シリーズ、九谷焼の転写技術を活かした「KUTANI SEAL」など。
http://www.choemon.com

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