2012年に創業し、日本のスペシャルティコーヒーの草分け的存在であるONIBUS COFFEE(オニバスコーヒー)。
Minimalでは代々木上原店でドリップコーヒーやアフォガードで使わせていただくなど、お付き合いが続いています。
創業者の坂尾篤史さんと、Minimal代表・山下が、クラフト業界の現状や展望について語り合いました。全2回でお届けします。
スペシャルティコーヒーに影響を受けているMinimal
山下
坂尾さんに初めてお目にかかったのは、青山のファーマーズマーケットでしたね。
坂尾さん
そうでしたね。あのときはご挨拶だけさせていただきました。
山下
うちの代々木上原店店長で元バリスタの(力武)元太のことは以前からご存じだったのですよね。
坂尾さん
スペシャルティコーヒーの業界ではもう10年くらい前からの知り合いですね。あと、朝日さん(Minimalエンジニアリングディレクター)も存じ上げていました。
山下
そうだったんですね!朝日は前職でバリスタをしていましたからね。
Minimalはスペシャルティコーヒー業界出身の人も多く、多大な影響を受けています。
特にオニバスさんは国内外で多店舗展開をしながら、一店舗ごとに「街の中にあるかっこいいコーヒースタンド」としてのインディペンデント感を失っていないところが本当にすごいと思っていまして、今日はお話しできるのを楽しみにしてきました。
坂尾さん
いえいえ(笑)。どうもありがとうございます。
ザクザク食感の製法が、一番正解な気がします
山下
坂尾さんはMinimalのことはご存じいただいていましたか。
坂尾さん
もちろんです。2014年のオープンのときから注目していました。
朝日さんがご自身のお店をやめられてチョコレートを始めるらしいと知り、気になっていました。
すぐに食べてみてあのザクザクの食感にびっくりして、「ああ、チョコレートはこれでいいんだ」と思ったのが最初の印象ですね。
山下
ありがとうございます。あれ、いまだに他社に真似されないんですよね。
坂尾さん
僕、他のなめらかな口どけのチョコレートを食べても、今やちょっと物足りなく感じますからね。あれが一番正解な気がしますけどね。
山下
嬉しいです(笑)。カカオの個性を最大限引き出し、素材そのものの味わいを楽しんでもらうならこの粗挽きが一番だと思います。
坂尾さん
なるほど。
山下
僕はオニバスさんの1店舗目が世田谷区・奥沢にできたときからふつうに客として行っていました。
当時ニューヨークに行ってスペシャルティコーヒーを知り、帰国して調べたら日本ではまだ店舗が少なくて。
丸山珈琲とかポール・バセットとか。その中でオニバスコーヒーが奥沢にできるというのをたしかメディアで知りました。
坂尾さん
そういえば出させていただいたような気がします(笑)。それはもう初期の初期ですね。
山下
店舗に行ってとても衝撃を受けたんですよ。ポートランドやブルックリンで流行っていたようなスモールビジネスでDIYするようなスタイルで。あれ、完全に手作りでしたか?
坂尾さん
そうですね。お金がなくてあれしかできなかったんですけどね(苦笑)。
創業のきっかけは、東日本大震災
山下
坂尾さんはポール・バセットで修行してから独立開業したそうですが、独立までは早かったですよね。それはなぜですか?
坂尾さん
じつは東日本大震災がきっかけでした。
山下
どういうことですか?
坂尾さん
震災が起きたらすぐにでも助けに行きたいじゃないですか。
震災直後の東京は自粛ムードで店舗にお客さんも来なかったので、すぐボランティアに行きたかったのですが、勤め人だとそうもいかなくて。
山下
そうですよね。ちなみに僕もボランティアに行きました。ゴールデンウィーク前後に休みを取って。
坂尾さん
そうだったんですね。僕も3月後半には行きたかったのですが、実際に行けたのは5月でした。
もともとバックパッカーをしていたころ、現地で暇なのでよくボランティアに行ってたんです。被災地では今につながる人たちとの出会いもあり、被災者の方々とも話をしたんですね。
そうすると「いつ何があるか分からないから、自分のやりたいことを大切にしたほうがいい」みたいなことを言われるんですね。それで帰ってきてすぐ辞めちゃったんです。
山下
決断早いですね(笑)
坂尾さん
あまり考えないで生きてましたから(笑)。
でもお店をやって友達と助け合うみたいな感じが、震災後の東京で経済が沈んでいるときの若者にマッチしたんじゃないですかね。
実際、同時多発的に友達が独立したり、スモールビジネスをやり始めた人がいっぱいいたので。
山下
言葉が適切か分からないですけど、めっちゃエモーショナルですよね。
坂尾さん
震災のときってけっこうそうだったじゃないですか?山下さんも被災地から東京に帰ってきてギャップありませんでした?
山下
たしかにギャップはありました。
東京ではもう普通に生活してるんですよね。なんだこりゃって。
……そう言われるとですけど、僕も考えてみると、前職を辞めて起業する理由の一つに震災はあったのかもしれないですね。
オニバスとは「公共バス」
山下
話が戻るかもしれませんが、坂尾さんがそもそもバリスタやカフェをやりたいと思ったのはなぜですか?
坂尾さん
バックパックでオーストラリアを回っていたとき、街角のカフェのバリスタに衝撃を受けたのが大きかったんです。職人的でありながら、カウンター越しにお客とスモールトークする姿がカッコよくて。
向こうにいると暇だから毎日カフェに行くんですね。ゲストハウスの1階にカフェっぽいところがあったりして、バックパッカー同士の友達ができて、カフェに行って次の目的地が決まるみたいなことがあったり。
そのうち美味しいコーヒーを作るコミュニティみたいなものが日本でもできたらいいなと思って勉強しようと考えたのがきっかけでしたね。
山下
じつは僕も学生時代にバックパックしてました。べたなきっかけで恥ずかしいんですけど、沢木耕太郎さんの「深夜特急」を読んで、ウラジオストクからシベリア鉄道に乗りました。
坂尾さん
僕も好きですよ。世代ですね(笑)。僕はシドニーに3ヶ月いて、オーストラリアの東側を1ヶ月かけてまわり、あと1年くらい東南アジアを放浪してました。
そういえば「オニバス」って、ブラジルのポルトガル語で「公共バス」という意味なんです。
お店を出すとき、たまたま深夜のNHKを見ていたらドキュメンタリー番組をやっていて、すごくいい作品だったんですよ。ブラジルは国土が広いから交通網を長距離バスがつないで、24時間くらい乗車するから出会いと別れの場にもなっているみたいな番組でした。
それを見てて、バックパックしてたころのことを鮮明に思い出したんですね。よく長距離バスに乗っていたので。
山下
オニバスってすごくいい名前ですね。坂尾さんの人生経験が一貫しているのがよく分かります。
坂尾さん
その名前をつけたこともあり、カフェが地域の起点になれたらという思いはありますね。
職人気質とコミュニケーション力の2軸
坂尾さん
親父が大工をやってて2年くらい自分も一緒に働いていた時期があるんです。
ただ、それを辞めた理由が、当時は「早く安く」とばかり言われていたのがあります。
建材に本物の木を使わなくなってて、年配の大工さんからも「お前らは木を使わないから一人前になれない」とも言われてて……。
山下
なるほど。
坂尾さん
それでコーヒーの世界に入ってみたら、バリスタもロースターもすごく「職人」なんですね。それが嬉しくて。
お客さんにサーブもするので、コミュニケーションも重要です。その場で飲んでもらってお客さんと会話があったりするのは楽しいじゃないですか。
僕はどちらも好きだなと気づきました。
山下
僕は今、会社でそのことばっかり言ってる気がします(笑)。
「職人」と「コミュニケーション力」ってなかなか両立しないですよね。両方やれているのはさすがです。
お話をうかがっていて、オニバスさんには、そのスタイルや自分で何かやるというDIY魂も含めて、僕はやっぱりめちゃくちゃ影響を受けている気がしました。
カルチャー対談は後編※に続きます!
オニバスコーヒーの海外展開やパーマカルチャーについてお話をうかがいます。
※後編は5月11日公開予定です
坂尾篤史さん
1983年生まれ。家業である大工を経て、オーストラリアでコーヒーの魅力を知り、バリスタ世界チャンピオンの店でトレーニングを積む。2012年、世田谷区・奥沢に「ONIBUS COFFEE」をオープン。コーヒー農園に積極的に訪れてトレーサビリティとサステナビリティを重視したカフェ運営を行なっている。
https://onibuscoffee.com