Minimalのチョコレートを皆さまにお届けするために日々奮闘する3人のMinimalスタッフのストーリーをご紹介しています。
最後にご紹介する3人目のメンバーは、銀座店店長の亀井です。
元々は香川県で住宅メーカーの会社員をしながら趣味のコーヒーを楽しんでいた亀井は、ある日衝撃的なコーヒーと出会います。それはノルウェー・オスロのJavaのコーヒー。
あまりの感動に気持ちを抑えられず、語学力も職場も宿も無いまま、1週間分だけホテルを取って単身ノルウェーへ。1年の北欧生活を経てMinimalに出会うまでのストーリーを前編・後編の2本立てでお届けします。
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白いドレスを気にせず汚すおてんば少女時代
香川県で3人兄弟の末っ子として生まれました。産まれた時からよく寝る子でミルクも飲まずにずっと寝ていたそうです。
海と山に囲まれた自然の中で育ち、夏は素潜りでウニを採って兄に投げつけ、秋には山で栗拾いをしてイガを投げつけて遊んでいました。ただ最後は兄2人に敵わずいつも泣かされていた気がします。
女の子が欲しかったという母の趣味により、動きにくいフリフリのドレスを着せられることが多かったです。しかし遊んで帰る時には泥だらけになり、フリフリ部分が木に引っかかって破いていました。
海と山しかない田舎だと思っていましたが、春は山でタケノコを掘り、夏は川で鮎を釣り、秋は祖父の田んぼで採れた新米、冬は畑で育てたかぼちゃ、と旬のものを食べる贅沢な生活だったと今では思います。
大学時代、生まれて初めての海外で”コーヒー”に出会う
1両編成の電車が1時間おきにしか来ない田舎よりも都会に憧れていた私は、大阪の大学に進学しました。
時刻表を見なくても次から次へと来る電車に感激していましたが、都会に慣れてくると、好奇心旺盛な私は次は海外に行ってみたいと思うようになりました。
そこで”海がきれいそう”という単純な理由でオーストラリアに興味を持ちました。昔から誰かに相談するときには熟考し終えた後に話すタイプだったため、一度決めたらきかない私の性格をよく知っている両親は応援してくれ、学校の制度を利用して1年間の留学にいくことに決めました。
しかし人生初の海外生活は想像以上に大変で、学校が終わった後はカフェに行って復習と予習をするのが日課になりました。
そんな中、テスト前で寝不足だった日がありました。いつも頼むヨーグルトジュースではなく、眠気覚ましに初めて「カフェラテ」を注文。
一口飲んだ瞬間、衝撃が走りました。お砂糖が入っていないのにとっても甘いそのカフェラテは、私にとって生まれて初めて”美味しい!”と思ったコーヒーでした。
それ以来いろんなカフェに行ってはコーヒーを飲み、長期休暇には現地のカフェスクールにコーヒーのレッスンを受けに行きました。
海外に行ってみたい、海がきれいそう、という理由で行ったオーストラリアで何よりも影響を受けたのは「コーヒー」でした。
帰国後、それまでコーヒーが飲めなかった私が毎日のように自分でコーヒーを淹れているのを見て、この子は海外で一体何を勉強してきたんだろうと家族も友人も呆れていました(笑)
ただ、喫茶店好きの祖父が私が淹れたコーヒーを飲んで目をキラキラさせながら「今まで飲んだコーヒーの中で一番美味しい」と言ってくれた時のあの喜びは今でも忘れられません。
世界で一番コーヒーが美味しい国?
大学を卒業後は、もう一つの趣味だったインテリア関係で働こうと決め、4年間住宅メーカーで営業や設計をしていました。
転勤先の香川県でも、コーヒー愛は冷めずカフェ巡りを続けていました。住宅メーカーで働きながらも、やっぱり一生働くのは「食」に関する仕事がいいと思う想いが日に日に強くなり、上京を決意。念願の東京のカフェで働き始めました。
カフェで働きコーヒーを勉強しながら、休日はカフェ巡りをしたりカッピングと呼ばれる試飲会に参加していました。
そんなとき、一杯のコーヒーに出会いました。
それまでに飲んだことがないフルーティーな浅入りコーヒーで、口に含んだ瞬間、オーストラリアで初めて飲んだカフェラテと同じくらいの衝撃を受けました。
店員さんに聞くとそのコーヒー豆はノルウェーで焙煎されたもので、ノルウェーは世界で一番コーヒーが美味しい国と言われていると教えてくれました。
このコーヒーと出会った日から”世界で一番コーヒーが美味しい国に行ってみたい!このコーヒーを焙煎しているお店で働いてみたい!”という想いが積もり、ずっと頭から離れない日が続きました。
どうしてもその想いを抑えきれず、まだ50人も申請したことがないというノルウェーのワーキングホリデービザをすぐに取得し、オスロに行くことに決めました。
自己紹介と注文の仕方だけのノルウェー語を覚え、最初の1週間分だけホテルを予約してノルウェーに引っ越ししました。
1週間で職探し、家探しをしなければいけない状況でしたが、当時は全く不安もなく”早く美味しいコーヒーが飲みたい!”くらいしか考えていませんでした。
コーヒーへの想いだけで動いていましたが、今思えば少し無謀だったような気がします(笑)
しかし、案の定行ってからが大変でした。ノルウェー語も分からない無職の怪しい日本人に家を貸してくれる人はなかなかいません。
家もなく仕事もなく貯金もどんどん減っていく状況は大変でしたが、それでも毎日いろんなお店に行き、美味しいコーヒーを飲みバリスタさんと少し話すだけで幸せだったのを覚えています。
”美味しいものはどんな状況でも人を幸せにする力がある”と感じた瞬間でした。
幸せオーラが出ていたのかはわかりませんが、その後たまたま出会ったマダムがなんと家に住まわせてくれることに。
そして東京のカフェで衝撃を受けたあのコーヒーを焙煎するコーヒー屋さんに通う日々がスタートです。日本ではコーヒーを飲んだだけでしたが、実際にお店にいくとお店の雰囲気も接客も素敵で、ますますここで働きたい!という気持ちが強くなりました。
そこで次の日には履歴書をもっていきました。
そしてその次の日も、その次の日も通い、1週間で5回くらい通い詰めたところ面接のチャンスをもらうことができました。
想いが通じ、1週間の試用期間で働かせてもらえることに。コーヒーを淹れるチェックを受け、無事に雇ってもらうことができました。
そこからは昼はバリスタの仕事、夜はノルウェー語学学校に通うという毎日でした。
休みの日もお店に通い、レジの近くに座ってコーヒーを飲みながら常連のお客さんとスタッフの会話を聞いて、分からないノルウェー語があったら質問をして、ノルウェー語を覚えました。
そのお店では、コーヒーの技術はもちろんのこと、とてもフレンドリーで素敵な接客を学ぶことが出来ました。
毎日来てくださるお客さんも多く、スタッフ同士・スタッフとお客さん・そしてお客さん同士も仲の良いお店で、お店が好きで集まる人たちがどんどん仲良くなり、お客さん同士の荷物の受け渡しをすることも(笑)
「もう少ししたら来ると思うから、これ渡しておいて」なんていう会話がとても素敵だなと感じていました。
しばらくしてからカフェのマネージャーに「どうして沢山働きたいという人がくるのに、言葉も話せない私を雇ってくれたの?」と聞いてみると、「うちのコーヒーが美味しかったという理由だけで知り合いもいない国に来て、家もないのに毎日店に来ては”美味しい美味しい”と幸せそうにしているのを見て、あなたと一緒に働きたいと思ったからだよ」と教えてくれました。
自分の想いが伝わりとても嬉しかったです。このお店でビザが切れるまでの1年間働かせてもらい、その後日本に帰りました。その間の休暇にも北欧やイギリスのカフェを巡ることができて、コーヒー愛がより一層深まった1年間でした。
おいしいコーヒーを淹れたい、衝撃を受けたあのコーヒーの店で働きたい、という理由で行ったオスロで何よりも影響を受けたのは「お客さんとの関係性」でした。
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この後、Minimalと出会い、コーヒー屋から一転してチョコレート屋で働くことになります。
続きは後編をご覧ください。