Minimal代表・山下が日々考えていることを、気ままにフリートークします。
第4回は、チョコレートの解像度と引き算の思想についてお話しします。
※第3回はこちら
水墨画の魅力は、解像度
今回は僕がなぜ異業種から「チョコレート」を始めたのか、というお話をしていきたいと思うのですが、少しだけ回り道をさせてください。
僕は水墨画が好きで、それはなぜなのだろうと考えたんですね。
水墨画は、墨だけを使って濃淡で表現をしますよね。白と黒の間にグラデーションがあり、薄暗い黒もあれば漆黒もある。
同じものの中にどれだけグラデーションを細かく見られるかーー解像度を高く見られるかーーというところが好きなのだと気づいたんです。
谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』という随筆の中で語っていることでもありますが、ここに日本人の繊細な感性の特性を見たわけです。
たとえば四季もそうですよね。4つだけじゃなくて、「二十四節気・七十二候」といって1年を72の季節に分けて一つ一つに名前をつける解像度を持っています。
このきめ細やかさが、僕らのバックボーンとしてあり、アイデンティティであり、強みになるんじゃないかと思ったのです。
水墨画のような発想のチョコレート
僕は起業するなら、日本の強みを活かしたやり方で、すでに世の中にあるものを再構築し、世界で通用するブランドとして新しいカルチャーを起こす、ということしかやりたくないと思っていました。
そのとき、たまたま出会ったのが、チョコレートでした。
当時、Bean to Bar(ビーン・トゥ・バー)という、カカオの調達からチョコレートの製造までを一手に行う「クラフトチョコレート」の世界的ムーブメントが起こっていました。
これまで単一の甘い味になりがちだったチョコレートに、甘い以外の「香り」という濃淡を描けるチャンスだと思いました。
香りの解像度を高く見極められる特性を活かすことで、美味しくて新しいチョコレートを作れるかもしれないと考えました。つまり、水墨画のような発想でチョコレートを捉え直したいと。
儚さを感じるには
水墨画も、香りも、大事なポイントは「儚さ」なのだと思います。
儚さは、グラデーションの中にあります。「白い・黒い」「甘い・苦い」のような二元論に儚さは感じにくいのですが、細やかで淡く微かな香りやその複雑に織りなす香りには、どこか捉えどころのない儚さがあると感じています。
その儚さへの解像度をいかに高め、儚さの中に誰も気づいていない無限のグラデーションを見つけ、表現できることができるかに、僕のチョコレート造りの全身全霊をかけて集中してみようと思ったのです。
その儚さを感じ取れるのは、水墨画が「引き算の芸術」であるところが大きいと思います。墨の濃淡だけで描くからこそ、儚さを描けるのではないかと。
同じことを、チョコレートで表現してみたい、もしチョコレート1個にグラデーションを感じてもらえる人が一人でも増えたら嬉しいと思いました。
引き算の先にあるもの
僕らは創業時から「引き算のチョコレート」ということを掲げています。
「Minimal(最小限)」というブランド名にもそれが表れています。
当時は、西洋発のチョコレートというものが、カカオと砂糖の他に植物油脂や香料や乳化剤などを「足し算」のようにして味を整えていくことへのアンチテーゼとして、僕らは「引き算」という姿勢を打ち出していました。
日本的な価値観で再構築したい、という思いがありました。
でも今は「引き算」というとき、僕の念頭にあるのは「解像度」かもしれません。
引き算を突き詰める先にあるのは、素材の解像度を上げることだと気づきました。
Minimalでは、カカオの香りを独自の「39分類」に定義し、社員は毎週テイスティングをしながら解像度を共有しています。
その解像度で見ていくと、ものすごく細かな表現やダイレクトで多様な味わいの表現が可能になり、お客さんに新しいチョコレートを提案できるようになります。
それは新しい食の喜びや今までにない価値観のカルチャーを創ることにつながります。
細かな解像度を持てることで、従来のチョコレートとは一線を画すものになり、感性が刺激されて豊かになることにつながります。
そう考えると、僕はチョコレートを通してグラデーション豊かな“水墨画”を描きたいんだと思います(笑)