Minimal 10周年記念対談:タイソンズアンドカンパニー代表 寺田心平氏

2025.03.19 #from Staff

人生をつくる、
シティ・クラフト

東京のウォーターフロント・天王洲で「クラフトビール醸造」を1997年から日本で先駆的に手がけられ、ブルーパブ「T.Y.HARBOR」を運営される寺田心平さんと、「シティ・クラフト」についてMinimal代表・山下が語り合いました。

場づくりまで含めて、クラフト

山下
Minimalは10年間「Made in Tokyo」にこだわって工房と店舗を東京で展開してきました。(寺田)心平さんも東京・天王洲(T.Y.HARBOR)でクラフトビール造りを27年も続けていらっしゃいますよね。その思いやこだわりはありますか。
 
寺田
T.Y.HARBORは「日本一のブルーパブ(醸造所付きレストラン)」を目指していまして、元々飲食店という出発点があるため、都会でものづくりをすることになりました。そうすると、ものをつくるだけでなく、その場で楽しんでいただくことも含めて「クラフト」なのかなと考えるようになりましたね。
 
山下
“場づくりまで含めてクラフト”というのは、新しい視点ですね。
 
寺田
同じビール飲むにしても、買ってきた缶ビールを家で開けるのと、水辺で素敵な光景を座りながら飲むのではやっぱり感じ方は変わってくると思うんですね。

メーカーとして美味しいものをつくることに留まらず、「ビールをこうやって楽しんだら気持ちいいよね」という、マーケティング用語で言う「感情的価値」まで含めて提案したいんですね。
 
山下
非常によく分かります。美味しさという観点でも、ビールをつくってすぐに出せる鮮度を保てるのは有利ですよね。
 
寺田
その通りですね。ビールはやっぱり生鮮食品なんですね。温度変化や輸送にも弱いので、工場の横で飲めるのは最大のメリットです。

Minimalさんも板チョコレートから始まってさまざまな商品展開や業態展開をしながら、ペアリングやシーン提案などチョコレートのいろいろな楽しみ方に踏み込んでいますよね。

うちの場合も「どうやって楽しむか」という提案は得意ゾーンでもあるし、それをやりやすい環境が東京にはあると思います。
 
山下
造り手(ブルワー)の皆さんがお店でお客さんの反応がダイレクトに見えることは、ものづくりに影響を与えますか。
 
寺田
それは大きいですね。お店に顔も出しますし、イベントでは直接お客さんにビールを注ぎますから、卸先から話を聞くのとでは全然違いますね。
 
山下
ある意味で、感度の高いお客さんの厳しさに鍛えられたこともありましたか。
 
寺田
東京は競争の激しいマーケットですから、クオリティが落ちれば即ダメになると思いますので、その維持には気を遣いますね。

ビールは何のためにあるのか

山下
27年間クラフトビールをつくり続けられて、お客さんに合わせて変遷してきたことはありますか。それとも、確固たる信念を貫いて変えていないですか。
 
寺田
ビールに関してそこまで大きなことは変えていないですね。

うちの定番ビールのポリシーとして「ドリンカビリティ(飲みやすさ)」というのを定めています。定番5種は、強い個性を出さず主張の少ないビールに仕上げています。なぜかというと、うちの飲食店で出すので「料理に合わせる」ことを前提にしているためです。

最初はそれだけでやっていたのですが、ブルワーたちはやっぱりいろいろなビールを造りたいわけですね。そこで小さなパイロットブルワリーを用意して、遊び要素のある実験的なリミテッドラインも足していきました。
 
山下
造り手にとって理想的な環境ですよね。「ビールは何のためにあるのか」という答えが「食べ物と合わせるため」と明確で、目の前にお客さんの反応があるという。僕らも陥りがちなのですが、ものづくりが先鋭化するとお客さんを置き去りにする落とし穴があって……。「誰のためにものをつくるか」という答えは、お客さんが持っているんですよね。
 
寺田さん
尖ったものをつくるとマニアックなファンは反応してくれるんですけどね(笑)。
お客さんに合わせて変わったことで言うと、27年前は「エールビール」なんて言っても誰も分からなかったので、接客時に詳細に説明していたんですね。でも、今では皆さん「IPAください」と普通にオーダーしてくださるようになりました。
 
山下
そうですよね(笑)。お客さんとの距離が近いことで、ちゃんと説明するというサービスまで一貫してできるのですね。そして、それを続けることで東京でのクラフトビールを当たり前にしていくということにかなり貢献してますよね。本当に素晴らしいですね。
 
寺田さん
売り切って終わりではなく、必然的にお店での会話やお客さんとのコミュニケーション時間も長いですし。それは飲食店ならではのメリットですよね。

クラフトマン同士は、同じ船に乗った仲間

寺田さん
27年間の変遷ということで言うと、クラフトビールが「地ビール」と呼ばれていたころから業界をずっと見ていますので、大きな波がいろいろありました。今は第2次淘汰の波が始まっていて、クラフトビールブームも終わってきていますね。
 
山下
ある意味、一般化されつつあるということですかね。
 
寺田さん
そういうことかもしれないですね。
 
山下
個性的な味を求めるとか、オルタナティブなクラフトを求める流れ自体は、そんなに衰えないのではないかと思っています。
 
寺田さん
そうですね。そうだと思います。大手メーカーしかいなかったマーケットの一部がクラフトに置き換わっていますね。

これはビールだけじゃなくてコーヒーやチョコレートもきっと同じで、ちょっと値段は高くても、 裏側にストーリーがあったり、共感できる要素があるものを求める流れはありますね。

クラフトの世界が広がってきたという世の中の変化は27年で見えてきた部分ではあります。
 
山下
クラフトがカルチャーとして根づきはじめているというお話は、僕も感じています。経営者としてクラフトの楽しさってどんなところに感じられますか。
 
寺田さん
経営者としてということで言うと、ビールはやっぱり幅広い人に愛されるドリンクでもあるし、且ついろいろなことに使えるのでコラボレーションしやすい魅力があり、クラフトの裾野を広げられる楽しさを感じます。Minimalさんとのビール造りもそうでした。
 
山下
心平さんが初めてうちのお店にふらっと遊びに来てくださったとき、僕がカウンターにいて、無知にも大胆にお声をかけさせていただき、一緒にビールを造らせていただいた経緯がありました。

心平さんからすれば、「見ず知らずの若者だけど、頑張ってるみたいだから応援しよう」くらいの意味も含めてお話を受けてくださったのかなと思っています。

こっちがびっくりするくらいの軽やかさに、懐の深さを感じたのですが、それは元々の心平さんの気質ですか。
 
寺田さん
僕の気質もあるのかもしれないですが、クラフトの世界ってそうなんだと思うんですよ。

“オープン・コミュニティ”というのか、クラフトマン同士は同じ船に乗った仲間だという感じは、もうクラフト業界では普通のことなんです。業種こそ違えど、東京でクラフトをやっている人たちには親近感が湧きやすいので。

もちろんMinimalさんのお店と商品の完成度が最初から高かったというのはありますよ。あまり美味しくなかったら、適当なことを言って断っていたかもしれない(笑)。
 
山下
よかったです(笑)。やっぱり東京という街の感度は大きいんだなとしみじみ感じました。

※ブルーマスターの阿部和永氏

人生の中にシーンが入ってくるお店

山下
心平さんは天王洲のT.Y.HARBORに留まらず、表参道のCICADA、麹町のNo.4など、東京の街に素敵なレストランを出店されていますよね。

どのお店にも世界観があり、映画のワンシーンに入ったような高揚感と、ちょっとカジュアルな崩し方がすごいとつねづね感じています。ちなみに、シティを選ぶときの基準はありますか。
 
寺田さん
出店の時は、その街に昼・夜・平日・週末とうろうろしながらエリアの空気感や人を見るのですが、最後の判断は「自分だったらそのお店に行くか行かないか」です。
 
山下
「自分だったら」という判断軸をやっぱりすごく大事にされるんですね。
 
寺田さん
もうそれしかないです。大仰なマーケット調査なんてしないですよ。うちはやっぱりクラフト「製品」だけをつくっているんじゃなくて、それをライフスタイルや日常で楽しめるかがテーマなので、「ここだったらそういうシーンをつくれる」とフィットする場所を探してから業態を考えます。

逆に言えば、外しようがないとさえ言えますよ。その素敵な環境とお客さんに合うものを考えて、あとは品質を保つ努力するだけですから。
 
山下
すごいです。これはなかなか言えないです。今のお話もまた「クラフト」なのだと思いました。

「その街にどういう場が合うのか」をつくるわけですよね。それを都会で何度もやっている、これこそまさに「シティ・クラフト」ですね。
 
寺田さん
そうですね。うちのお店はお客さんと一緒に育てていただいたという感じです。たとえば、お店でデートをして、結婚パーティをして、結婚記念日にもお祝いをして、やがて子連れで来るようになって、そのうちお子さんがバイトするみたいなこともあります。
 
山下
すごい素敵な話です。お店を続けていくことの重みですよね。
 
寺田さん
そうですね。人生の中にシーンが入ってくる、そういうお店でありたいんですよね。


 
 
寺田心平さん

1972年東京生まれ。慶應義塾大学SFCを卒業、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院修士課程修了。台湾の百貨店企業に就職。帰国後「T.Y.HARBOR」の経営建て直しを始め、3年で黒字化に成功。2002年代表取締役社長に就任。
現在は、東京と京都で複数のレストラン、カフェやベーカリーを展開、クラフトビールなどのプロダクトの製造・販売も行っている。

 

※2024年12月発刊「Minimal 10th ANNIVERSARY MAGAZINE」より

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