【Minimalカルチャー対談】〈とおの屋 要〉オーナー・佐々木要太郎さん(中編)「先の見えなさが最大の魅力でした」

2023.11.24 #Minimal's Story & Report

日本一予約の取れない宿として知られる〈とおの屋 要〉。
岩手県・遠野市で、一日一組のみ宿泊を受け付けているオーベルジュです。
オーナーの佐々木要太郎さんと、Minimal代表・山下が、日本のものづくりの過去と未来について語り合いました。全3回でお届けします。

※前編はこちら


分岐点は「本物の職人」に触れたこと

山下
一番最初のころのお話をうかがってもいいですか。今のスタイルの原型となる「農業まで含めたオーベルジュ」を始められたきっかけはありましたか?

佐々木さん
はい。すべてのきっかけは「どぶろく特区」構想でした。うちの親父がやろうと言い出したのですが、親父は民宿の仕事が忙しく、僕はちょうど帰ってきたタイミングで時間があったので、免許を取りに講習に行きました。21歳のときでした。
そこから、すぐに田んぼを借り、親父と2人で自然栽培で農業を始めました。

山下
初めてのどぶろくができたのはいつごろですか?

佐々木さん
1年後ですね。美味しくなかったですけど(苦笑)

山下
それは生酛(きもと)とか水酛(みずもと)ですか?

佐々木さん
速醸(そくじょう)ですね。

山下
今のスタイルに近づいていくまでは、けっこう時間がかかったんですか。

佐々木さん
10年くらいかかりました。

山下
すごい。それは毎年何回くらいチャレンジできるものですか?仕込みの数は限られるじゃないですか。

佐々木さん
もうひたすらに造り続けたんですよ。タンクが空いたら次を仕込んで、寝ずにやっていました。小さかった子どもをおんぶしながら作業して、醸造所にキャンプ用品を持ち込んで寝泊まりしてましたね。

山下
これがきっかけで変わったというのはありました?

佐々木さん
一番の分岐点は、奈良の「久保本家酒造」という酒蔵に勉強に行ったことですね。僕が最も尊敬する杜氏さんがいらっしゃる蔵です。店を閉めて子どもをばあちゃんに預け、住み込みで習いに行きました。「本物の職人」に触れたことは大きかったです。

「並行複発酵」という“世界でただ一つ”のアルコール発酵

山下
要太郎さんのその原動力は何でしたか?

佐々木さん
それはもう一番最初に、免許を取る講習に行ったときでした。酒造りの授業で「並行複発酵」※という「世界でただ一つのアルコール発酵」を教わったんですね。日本酒よりもどぶろくの方が古く、どぶろくよりも稲作は古い歴史があります。僕、単純な人間なので、これ全部ちゃんとやったら世界で戦えると思ったんですよ。
※日本酒を作るためのアルコール発酵の方法

山下
なるほど。ちなみにカカオは単発酵なのですが、「並行複発酵」なんてもうすごすぎて意味不明ですよね(笑)。こんなことを何の理論もなく昔の人は感覚と感性だけでやったという。

佐々木さん
ほんとに。だって稲穂を見て、誰がこれで麹を造ろうと思ったんですかね。

酒蔵の方々に認めてもらいたかった

山下
それで、水酛に切り換えられたのはいつからですか?

佐々木さん
11年目からですね。本当は真っ先に水酛はやりたかったんですね。ただ、そのためには酵母に何としても住み着いてもらう必要があって。その間に、僕の中では10年は日本酒の基本をきちっと学ぼうと思っていました。やっぱり酒蔵の方々に認めてもらいたかったんです。
彼らへのリスペクトの気持ちが強かったので、他の日本酒と飲み比べても引けを取らないくらいのどぶろくを造ろうと決めていました。厳しいことも言われましたけど、今では本当にすごく良くしていただいています。

山下
それは要太郎さんが「ちゃんとやった」からですね。ここはね、ぜひ若者に伝えたい(笑)。
一番最初の講義の時点から、ビジョンがあったということですね。

佐々木さん
水酛ならば、海外のワインにも引けを取らない「酸」があると思ったんです。僕は「優良酸」と呼んでいるんですけど、日本にはすごい植物性由来の乳酸菌があるんです。これで世界と勝負しようと思いました。

山下
世界で勝負しようと思ったのはなぜですか。

佐々木さん
遠野という田舎で、僕たちは素人集団から始まってますよね。この田舎で世界に評価されるようなチームがあるということをみんなに見てもらいたかったんですね。

お米の一粒一粒をどう活かしていくか

山下
お米づくりは、最初から無農薬栽培だったんですね?

佐々木さん
最初からです。僕はワインが好きで、非常にベタな話ですが、アンリ・ジャイエの思想と哲学に影響されてまして。

山下
そう聞くと、すごく腑に落ちますね。

佐々木さん
アンリ・ジャイエは「ブドウ一粒」にこだわって生産していたのですが、お米でもそれを絶対にやるべきだと思ったんです。お米って粒が小さいので「一俵」とか「何キロ」と捉えられがちですが、「米一粒が実なんだ」と。この一粒一粒をどうやって活かしていくかに着目しようと。

山下
一粒一粒、良い言葉ですね。これは僕も真似させてください(笑)。要太郎さんから教えてもらったって言って。
それをやり続ける一番のポイントは何でしたか?

佐々木さん
先の見えなさですね。先が見えないということは、てっぺんがないので、やってもやっても完成しないんですね。そこが最大の魅力でした。毎年毎年、先が見えなさすぎて闘争心に火がつきました(笑)。

山下
それ、ワクワクしますよね。

佐々木さん
しますします。今もほんと月末の返済日なんて超しんどいなと思いますけど(笑)、でもやっぱりワクワクするんですよね。借金するということも含めて。

山下
僕らも今回、新店舗などでけっこう借りたんですよ。なんかもうやるしかない!っていう。

佐々木さん
そうそう。やるしかない(笑)。

米づくりから、どぶろくを“調理”している

山下
ところで、要太郎さんはご自身のアイデンティティの自意識としては、「農家」「醸造家」「料理人」のうちで、どれだと考えていますか?

佐々木さん
僕は「料理人」の考え方ですよね。
たとえば、もし「醸造家」だけだったら、うちの水酛みたいな特殊なアイデアは絶対に浮かばなかったです。
もし僕が「農家」だけだったら、まず価格の壁にぶち当たるんですよ。買取価格の限界があるので。でも「料理人」なら一皿に仕上げるまで持っていけるんです。種を蒔くところから収穫まで用意しているような感覚だから、こういうことをやれば買取価格の10倍の価格で持っていけると考えられるんです。

山下
今「料理人」と伺って、すごく腑に落ちました。僕、要太郎さんのどぶろくは「料理」だな、と感じていたので。お米を作るところからじつは「どぶろくを調理している」という感覚なのですね。僕らもチョコレートを本当はそういうふうに造りたいんですよね。そのプロセスに絶対神が宿るので。

一つの皿を作り上げる「プロセス」に重点を置く

佐々木さん
僕はスタッフに口うるさく言うんですけど、「結果ではなくプロセスに重点を置いて、一生懸命やりましょう」と。出来上がった皿の上って、そんなに大した重要性を秘めてないんですよ。やっぱり腕のいい職人さんたちって、一つの皿を作り上げるまでのプロセスにとんでもない数の仕事をしているんです。それを、あとは結果的にデザインしていくというだけの話なので。

山下
そこに結果としての「目指す味」はあるんですよね?

佐々木さん
それはあります。もう絶対あります。はじめに作り上げるものを決めて下っていくんです。下っていった結果、「これ、絶対無農薬でやらないと作れないじゃん」というところに辿っていきますね。

山下
それってやっぱり最終ゴールの視座の差とか、このクオリティ基準の個人差って出ますよね。

佐々木さん
そうなんですよね。

山下
最終ゴールの高さによってプロセスが変わりますよね。低いところを設定しちゃうとね……。

佐々木さん
でも、ほとんどの人がなかなかそこまで高い設定ってできないと思うんですよ。だからトップに立つ人がいかに上を目指して、尻を叩きながらでもその世界を共有させていけるかがすごく重要ですよね。ただ、人と働いてみて分かるのは、そのトップを見せてもダメな子はダメなんだなと(苦笑)。さっき言った「先が見えない」ことに対して楽しめる人をいかに探せるかなのだなと、今は思っています。

「好きでい続ける」ために必要なこと

山下
僕は最近「同じことを続ける苦しさ」ってものすごくあるんだなと感じるんです。僕は好きなことをやっているので、別に「頑張ってます」とかあまり言いたくないですけど、「好きなことを、好きでい続ける」って苦しいときがありますよね。

要太郎さんは軽快に笑って話されますけど、思い出すと二度とやりたくないつらいこともきっとたくさんあったと思うんです。でも、目線が常に「忘れていっている」というか、もっと先にある「面白いことを見ている」というか。

佐々木さん
そうですね(笑)。全然つらかったですね。

山下
でもたぶん今、それ忘れてますよね。

佐々木さん
忘れてます。思えば、21歳で2歳の子育てして、母親も介護して、どぶろくをやってみたいな感じでしたけど(笑)。
友達から飲みの誘いがくるんですけど、行けるわけないじゃないですか。するとどんどん地元の友達もいなくなるわけですよね。で、気づくと一回り上の諸先輩方と行動をするようになっていて。でも今思えば、それが大きかったですよ。

山下
僕もその感覚ありますね。いまだに一緒に飲む人は50代が多いです。礼儀礼節は大事にしていますけど、僕は生意気で物怖じしないところがあるので(笑)。

 

最終回は、二人の考えるものづくりの未来像と新しいカルチャーについて語り合います。後編に続きます!

※後編はこちら

佐々木要太郎さん
1981年遠野市生まれ。料理人/醸造家。100年余り続いてきた民宿「とおの」を4代目として継ぐ。料理の基礎を父から学んだ後、独学で料理を極める。その傍らでどぶろく造りを始め、2011年9月から民宿の隣に「とおの屋 要」をオープンし、ゆったりとした時が流れるレストラン、1日1組限定のオーベルジュを構えている。
http://tonoya-yo.com/index.html

 

※Minimalカルチャー対談、過去の連載はこちら

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