Minimalのチョコレートは、世界各地のカカオ豆を集め、すべてMade in Tokyoでお作りしています。
現在店舗は富ヶ谷本店・銀座店・白金高輪店・東武池袋店の4カ所に展開し、そのうち富ヶ谷本店・白金高輪店・東武池袋店は工房を併設しています。
チョコレートはすべて1枚ずつ手作りをし、それぞれの店舗で心を込めて販売をしています。
今回は、そんなMinimalのチョコレートを皆さまにお届けするために日々奮闘する3人のMinimalスタッフのストーリーをご紹介します。
今日ご紹介するのはチョコレート職人の奥野です。前職はパン職人。Minimalのチョコレート職人になるまでのストーリーを前編・後編の2本立てでお届けします。
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Staff No.1 奥野(チョコレート職人)
運動と料理にはまった少年時代
静岡県で姉1人、弟2人の4人兄弟の長男として生まれ、子供のころから運動が好きで幼稚園からサッカーをやっていました。
小学校の時にはJリーグが設立され同じ静岡出身の三浦知良選手、清水健太選手等にあこがれを持ちながらサッカー選手になることを夢見ていたサッカー少年でした。
そんな中、小学校高学年に料理に興味を持つきっかけがありました。
それは、家庭科の授業での”調理実習”。そこで習った料理を覚え、家で再現をしました。家族に食べてもらった時に”おいしい!”と言ってもらえたことに、とても大きな喜びを覚えたことは今でもよく覚えています。
その時から自分で食べるご飯をよく作るようになり、調理に興味を持っていきました。
初めてのパン作りそしてパン作りの道へ
中学生のころ母がパン教室に通っていて、家に作ったパンを持って帰ってきてくれたり、家でパンを作ってくれたりしていました。
そこで、私も母に教えてもらいながらパン作りを始めるようになりました。
最初に作ったパンは、発酵も未熟でとても食べられるようなパンにはなりませんでした。それがとても悔しくて、何度も何度も挑戦をしているうちに、家でパンを焼くのが趣味になりました。
高校を卒業する時、何かおいしいものを作って人に喜んでもらう仕事がしたいと思い製菓の専門学校に進学したいという想いがありましたが、親の反対もあり東京の大学に進学することになりました。
大学に進学したものの食への夢は諦めきれず、就職活動では飲食関係の企業を受け、最終的にパン屋に就職することになりました。
新商品の開発に没頭する日々
パン屋に就職をして最初に任されたポジションは生地の仕込みでした。
2つのミキサーを使って次々パン生地を作る必要があり、慣れるまでがとても大変でした。生地の捏ね具合や捏ねあがる温度は、その後の完成までの工程に影響を与えるので、日々試行錯誤を繰り返しながら生地作りに没頭していた毎日でした。
4年半が過ぎた頃、新商品開発にエントリーできることになりました。
通常は商品開発部が行う商品開発ですが、自分が考えたパンを商品化できるという大きなチャンスです。毎日のように閉店後に居残りし、多くの試作品を作る日々が続きました。
店長からの合格をもらった後、係長・部長・商品開発部、最後には社長にOKをもらい、ついに自分が作ったパンが発売されることになりました。
初めて販売することになった開発商品は「りんごのパン」です。お客様に初めて買っていただいたときの感動は今でも忘れられません。
自分が開発したパンを母に食べてもらい、喜んでくれた姿も鮮明に覚えています。
この喜びが原動力となり、それ以降もコンテストに出品したり、新商品の開発に力を入れていました。
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この後Minimalと出会い、チョコレート職人への道へ進んでいくことになります。続きは後編をご覧ください。