カカオ生産者の収入向上をはばむ、構造的な問題
インドネシア、パプア州のカカオ生産者の朝は早いです。
日の出とともに裏山の農園に向かい、カカオの実をひとつひとつナタで切り落として採集します。電気は通っているものの、中心地でも発電量は十分ではなく頻繁に停電(行政は計画停電と言いますが、パプアの人はランダムに起こる非計画停電と口を揃えます)になります。
中心地を離れた村では、夕暮れになると薪で火をおこして夕食の支度をする煙が、あちこちから立ち昇ります。 こんなのどかな農園風景で穏やかに暮らす生産者も、生活環境を改善していきたいという“ごく普通の向上心”を持ち合わせています。 しかし、その目の前に壁として立ちふさがるのが、カカオをめぐる「不都合な真実」です。
カカオ生産者が収入を上げる道すじは、大きく分けて3つあります。
「農園を拡大して収量を増やす」「カカオの木1本あたりの収穫効率を上げる」「カカオの取引単価を上げる」。
今回は「カカオの取引単価を上げる」に着目したいと思いますが、ここには様々な構造的な課題が横たわっています。
まずカカオの価格決定をめぐる国際金融マーケットの存在です。
コモディティ(一般的な)カカオは商品先物取引の銘柄のひとつで、投資家によって相場が形成され、生産と消費の需給バランスのほかに、国際情勢や他の投資商品の魅力度とのバランスで値が上下する背景があります。 つまり、現場の生産者が自ら値付けを行える環境にはありません。
さらに、カカオ生産者をめぐる歴史的な問題。 カカオに限らず「単価を上げていく」自助努力として、品質や希少性などを高める方法があげられますが、そのためには前提としてまず買い手と作り手が「品質」を評価する必要があります。
カカオはここに実は複雑な課題がそびえ立っています。 一つは、コモディティカカオは複数の地域の豆を「ブレンド」して使われている点です。
現在、世界中の多くのチョコレートは、大量生産のため「地域ごちゃ混ぜ状態」のカカオで作られているため、カカオ生産者や一地域個々の品質について評価をする状況ではなく、また商品を食べても同様に個々の評価ができません。
もう一つは、こちらのほうがさらにやっかいですが、農家の方々がそもそもチョコレートという製品を知らず、カカオの良し悪しや、カカオとチョコレートの風味の関係性も知らないまま生産に従事しているという点です。
これは、カカオがたどってきた歴史的経緯が大きく影響をしています。 15世紀半ばからはじまった大航海時代に中南米からカカオ豆が持ち込まれたのを機に、チョコレートは西欧列強諸国によって製造・消費され、その原料であるカカオは植民地のプランテーションで栽培されてきました。
カカオの歴史が無い地域で新たにカカオが栽培され、生産国において最終製品であるチョコレートを食べることは稀であったため、生産者がカカオの品質について自ら評価をする機会が得られませんでした。
こうした買い手と作り手の遠い距離と双方の無理解が、結果的にカカオ生産者の収入向上をはばむ壁として立ちはだかっていることになります。
農園に入って、発酵・乾燥のレクチャーを行う
Minimalは創業からカカオとお砂糖だけという最小限の要素で仕上げてきました。そのため、風味の決め手となる「素材であるカカオ豆」を創業時から重要視してきました。
より良いチョコレートをつくるために品質のよいカカオ(ファインカカオ)を求めて世界の生産農園を訪ね歩き、良質なカカオ豆を一般取引価格よりも高くパートナー農家の方々から直接購入してきました。
やがて、よりMinimalにとって高品質のカカオを得るために「発酵・乾燥」という現地でしか行えない工程を研究し、試行錯誤を重ねるようになりました。
一定のプロセスを学び、作業や判断の良し悪しが理解出来るようになった私たちは、今度はインドネシア・パプア州の農園に滞在し、連日カカオの「発酵・乾燥」のレクチャーを農家の方々に行い始めました。
生産者のほとんどが「チョコレート」というものを食べたことがないため、まずは目の前で実演してチョコレートを手作りして味わってもらうことからスタートします。
カカオの「品質」について考えたこともなかったカカオ農家の方々に、発酵や乾燥の工程の違いで生まれる風味と個性をまず体感してもらい、発酵の基本的なプロセスや、進行状況の判断方法などを伝え、さらにその地道な作業をずっと継続してもらうことはたやすい話ではありません。
途中でやめてしまう生産者も少なくありませんでした。 品質改善や新たな研究よりも、まずはカカオ栽培が農家の方々にとって日々の生活を支える活動であるという事実を、私たちも忘れず心に留める必要がありました。
残念ながら満ち足りているとは言いがたい生活環境下で、生産者にとってはMinimalのためにファインカカオを作るよりも、コモディティカカオを大量生産するほうが当座の生活に必要な収入が得やすいという事実があります。
私たちとカカオ農家の方々は対等なパートナーですが、彼らがやると決めたことであっても、その貴重な時間や資源に影響を与える活動を一緒にする、ということに責任を強く感じる必要があります。 そして真剣に関わる以上、お互いがより良くなるために力を尽くさなくてはなりません。
生産者の“アーティスト魂”に火をつける
元々は品質のよいカカオを求めて農園に入った私たちでしたが、やがて、これがカカオ生産者の前に立ちふさがる構造的な経済課題の壁を越える一筋の道になるではないかと手応えを覚えるようになりました。
私たちは品質や取り組みを見て、ファインカカオに対しては単価を上げた取引を行います。 直接取り引きをし、カカオそのものの評価でプライシングができることで、積年の課題であった金融マーケットの決める価格ではなく、自農家の品質の向上に見合った単価の向上をハンドリングできるルートを得ることになります。
それにも増して、ていねいな作業で品質をコントロールしてカカオを生産することは、生産者のこだわりに火をつけることにも気がつきました。
私たちはできるだけカカオ農家の方々のことを日本で紹介したり、逆に日本のお客様の反応やご評価を農家の方々に伝えたりしています。
カカオがブレンドされて作り手も食べ手も品質を評価できなかった課題を解決するだけでなく、こうした循環で得られる「自分が手がけたものが海を越えてお客様に喜ばれている」という実感は、作り手に自信と誇りを与えてくれます。
これを「職人気質」と呼ぶべきか、「アーティスト魂」と呼ぶべきか。 そのシンプルながらも一途な魂のようなものは、人類に共通したモチベーションなのだと教えられました。 生産者が自ら「価格決定権」を得ることと同じくらい、「ものづくりの誇り」を手にすることも、生産の現場において重要なものでした。
ものづくりの誇りを持つと、自分がつくっているものをもっと知ってもっと良くしたい、お客さんにもっと喜んでもらいたいと考えるようになります。この思いが、「生産者がチョコレートやカカオの良し悪しを知らない」という状況を許さず、ひとつの根深かかった課題の解決の一助となってくれます。
根気よく続ければ必ず品質は向上していく
こうしてカカオ農家と腰を据えて取り組む取り組みは、少しずつ品質の向上につながっていくという実感を得ています。
例えば2014年から3年かけて取り組んだ、インドネシア・パプア州の生産者ともに品質改善に取り組んできたチョコレートが2017年「アカデミー・オブ・チョコレート」という世界的品評会でブロンズ(銅賞)を獲得することができました。
また、JICAのODA案件化調査で入ったニカラグア・リオサンフォワン州の生産者のカカオ豆が2019年「インターナショナルチョコレートアワード アジア大会」というこちらも世界的な品評会で銀賞を獲得することができました。
今回の受賞は、Minimalと生産者の「共同事業」の達成であり、生産農家のバトンを受け取った私たちがチョコレートの品質評価で報いられた成果でもあります。 だからこそ、パートナー農家の方々に今回の受賞を報告したときに、一緒に喜びを分かち合えたことは何物にも換えがたく嬉しいことでした。
カカオの品質は、一朝一夕には向上しません。 せっかくよい栽培環境が整っても、一度途絶えてしまえば復活するまでに大変な時間と労力を要することになります。 子供が生産者の親を見て農園を継いでいくという長いスパンのクオリティ管理も必要となるでしょう。
そんな先行きも見据えながら、「美味しくてきちんと売れる」カカオを作り続けることで、生産者の生活向上の一助にもなれればと思いを新たにしています。
MinimalのBean to Bar板チョコレートは以下よりお買い求めいただけます。