約50年前、コロンビア北部の町アラカタカで「百年の孤独」という小説が生まれました。著者は後にノーベル文学賞受賞者となるガブリエル・ガルシア=マルケス。この小説の中では、アラカタカをモチーフとしたある村に移り住む一族の希望と失望が交錯する100年間についてえがかれています。
今でこそ治安が改善されつつあるコロンビアですが、コカの栽培、ゲリラやマフィアといった動乱の繰り返しのイメージは未だ強く、この歴史はアラカタカのカカオの栽培にも少なからず影響を与えてきました。
コロンビア最高峰の雪山とビーチリゾートに囲まれた町 アラカタカ
アラカタカのカカオ豆を私たちは「シエラネバダの豆」と呼んでいます。シエラネバダとはスペイン語で「雪に覆われた山脈」を意味していて、コロンビアの北端には標高5,700mと富士山よりも高い「シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ山地」が万年雪をかぶっています。
一方で町から北側に少し行くとビーチリゾート開発がすすむカリブ海が広がっていて、まさに南米をイメージするような海と、おおよそ南米のイメージとは真逆のこの山の麓にアラカタカはあって、カカオ豆を栽培しています。
朝にも昼にも風邪の時にもチョコレート
アラカタカは北緯10度、シエラネバダの麓からさらに低地の温暖な町です。
昔から人は住んでいたのですが町となったのは1885年で、人口は4万人、中心部に27,000人が住みますので、イメージより大きな町と思われる方が多いのではないでしょうか。
住人の約3割が農家で、カカオ農家はその半分くらい。他には漁業や畜産業などが営まれています。カカオ以外にみられるバナナやレモン、スターフルーツなど色とりどりの様々な果物は、西に2時間ほどのバランキージャという町の仲介所に車で運ばれるそうです。
アラカタカもそうですが、コロンビアでは古くからカカオが栽培されていてチョコレート文化はとても生活に根付いています。薬やエナジードリンクとして力をつけたいときにも飲むのはチョコレートでした。特別な時だけではなく朝ごはんやおやつなど、日本人がお茶を飲むように毎日口にされています。
コロンビアでチョコレートという時はチョコレートドリンクをさします。シナモンやクローブなどのスパイスと砂糖を入れた甘いドリンクで、コロンビアではこのチョコレートドリンクのことを“チョコラテ”と呼び、ヒョウタンのカップで飲むそうです。
ちなみに板チョコレートのことを指したいときには、“バラデチョコラテ”(板のチョコレート=チョコレートバー)と言わないと伝わらないそうです。
カカオ農家ではチョコレートを自家製でつくったり、各家庭の味があったりと、南米発祥のカカオ・チョコレートの歴史の長さを肌で感じる食文化を垣間見えることが出来ます。
このようにカカオは、産業としてアラカタカの人々を支える農作物であるだけではなく、生活に寄り添うパートナーでもありました。
シエラネバダ カカオの光と影
このように伝えると、シエラネバダのカカオもアラカタカの町も、昔からチョコレートの甘い香りに包まれてきた平和な印象をもたれるかもしれません。しかし冒頭でコカやゲリラに触れたように実際はカカオの歴史には明るくない側面も多くあって、残念ながらアラカタカの町も例外ではありませんでした。今回は少しカカオの裏側についてもお話をしたいと思います。
シエラネバダの豆は昔から生育していたと思われる品種の他に、複数の地域から持ち込まれた品種が栽培されています。実はこの背景にコカやゲリラの影響があるそうです。
コロンビアは対策により生産量を減らしているものの、今でも世界最大級のコカの生産地です。コカ生産者の生計をコカ以外でたてさせるために、USAID(米国国際開発局)がカカオの栽培を推進したので、その際に国外からも多種のカカオがアラカタカの農園にも入ってきました。
ではカカオの栽培によって生産者がコカから簡単に脱せられたかというと、残念ながらそうではありません。一般流通するカカオ豆の単価は他の農作物と較べても決して高くはなく、コカと比較するとなおのこと収入面での魅力は低いと言わざるを得ません。そのため、コカからカカオに転作をしてもまたコカに戻ってしまう農家も多くいるようです。
ではゲリラはカカオの栽培にどう影響を与えているのか。今では解体にむけた取り組みが進んでいるコロンビアのゲリラですが、過激だった時代は武装し山や森に潜伏して一般市民にも攻撃をしたため、20万人以上が死亡し、600万人以上が住居を失ったと言われています。
この動乱の中でアラカタカより南の地域に住んでいたカカオ農家がカカオを持ってその地を離れ逃亡することで、アラカタカの農園にも多種のカカオが持ち込まれたと言われています。
最後に、気候変動の影響も伝えなくてはなりません。カカオは温暖・高湿の地域を好む一方で、意外なまでにナイーブで繊細な農作物です。アラカタカのエリアでは、10か月間一切雨が降らない時期がありました。山の写真を見せてもらって驚いたのですが、昔の写真ではまさに赤道直下の青々と濃くてパワフルな緑に覆われていた広大な山一面が、乾燥によって緑が1つもない日本で言うイチョウ色に覆われ尽くしていたほどでした。
日本にいても異常な暑い日や寒い日に驚きますが、一体が山や農作物となるとその影響は目にも明らかなインパクトを与えます。
こうした気候変動や経済性の低さもあいまって、カカオ農家をやめてしまったり、ヤシなど他の農作物に転作をする農家も残念ながら珍しくありません。
もちろん悪い話ばかりではありません。
コロンビアには原生のものや昔から生育する品質の高いカカオが残っていて、少なくとも私たちが使用するCACAO HUNTERS®のカカオは、高度な管理と生産者サポートによって非常に良質で、そのうえで個性的で鮮明なキャラクターをもつ豊かなフレーバーを有します。
また、コロンビア国内のビーントゥバーメーカーが30ブランドを超えたそうで、コロンビア国内でも新たな関心がうまれ、改めてカカオのエコシステムを見返す良い機会になるかもしれません。
フルーティーなフレーバーを生むシエラネバダ
ここまでアラカタカの町やシエラネバダのカカオ豆の歴史についてお話をしてきましたが、ここからはそのカカオや風味の特徴についてお伝えしたいと思います。
カカオの風味を決める要素には、大きくはカカオの品種や栽培された環境(土壌や気候)、そしてカカオを発酵・乾燥する際の方法や環境があるのですが、これらの要素が無数に掛け合わさって風味が決まるため、ざっくりと言ってしまえば産地・地域によって風味の個性の大きな方向性が決まってきます。
シエラネバダの豆の特徴はチョコレートにするとフルーティーに仕上がる風味にあります。
まず品種と栽培環境ですが、昔からカカオが生育されていたと考えられていますが、加えて先ほどのコカやゲリラを背景とした歴史の中で国内外から様々な品種が持ち込まれ、栽培されるようになりました。
同じ区画の近い距離で色々な品種のカカオが栽培されていたので、花粉の自然交配によってさらに品種が混ざっていきます。これがシエラネバダ独特の力強く味わい深いフレーバーを生み出す一因になっていると考えられます。
そしてシエラネバダの風味を特に左右するのが産地での最終工程となる乾燥にあると考えられています。
アラカタカ近郊は気温が高く、プレアロマと言われる香りづくりや乾燥を比較的行いやすい環境にあります。乾燥が強く早いと、フルーティーなフレーバーのもととなる酸をカカオ豆の中に閉じ込めやすく、また高温により豆の中で起こる酵素反応が活性して香ばしさや凝縮感のある香りのもととなっていきます。
今季バージョンで新たなチョコレートの風味が完成
香りもやはり気候によって大きく変わります。特にシエラネバダ近郊では2014-2016年の強力なエルニーニョ現象の影響を大きく受けました。
実はシエラネバダのカカオを使ったチョコレートはMinimalの創業時の2014-2015年頃にタブレットの製造をしていました。エルニーニョ現象が起きた期間は特に高温・乾燥の気候になりやすいのですが、この期間は乾燥がより強力に行われるため、より濃厚で凝縮感のあるレーズンのような風味が特徴でした。
変わって今回新たに仕入れるシエラネバダのカカオ豆は待望の降雨があって、風味としては凝縮感よりもフレッシュさの印象が特徴だと感じています。
シーズンで変わるカカオの風味を確かめながら、個性と香りを引き出した今期バージョンのシエラネバダのチョコレートは、ついにレシピが完成しました。シエラネバダのキャラクターを楽しんでいただける1枚になりました。
そこで、次回のJOURNALでは、前回と今回のカカオ豆の印象の差や、レシピ開発の秘話をMinimalエンジニアリングディレクターの朝日にインタビュー。このシエラネバダのチョコレートレシピを開発するまでの道程をご紹介いたします。
(写真提供 CACAO HUNTERS®)
----------------------------------------
アラカタカの町で収穫されたシエラネバダカカオ豆のチョコレートは4月25日から各店100枚限定で販売しましたが、予定より早く各店で完売してしまったため、追加製造が決定しました。オンラインショップではこのチョコレートを含む食べ比べ4枚セットをご用意しています。プレゼントのマグカップもお付けしておりますので、この機会にぜひご賞味ください。